『ありがとう。フク。』

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今日は悲しいお知らせをしなくてはなりません。

理容フルサワの「営業部長」として多くの皆さまから可愛がっていただいたフクこと古澤だいふくが7月18日夜23時に亡くなりました。8歳でした。

僕の不注意からくる事故で、悔やんでも悔やんでも悔やみきれない突然のお別れになってしまいました。

まずは皆様から生前に頂戴したたくさんの愛への感謝と、このような形でのお別れにさせてしまったことへのお詫びをさせていただきたく思います。

本当にありがとうございました。そして本当に申し訳ありません。

 

内容的に悲しい話をしなくてはならない部分もありますので、苦手な方はここで戻ってください。

 

 

フクは埼玉県春日部市で生後すぐに捨てられ、保健所に持ち込まれたところを、ダンデライオンパピママさんにレスキューされ、里親募集を通じて我が家に来ました。8年前、2012年4月のことでした。

パピママさんのもとではダイちゃんと呼ばれていて、僕は「福」という名前を娘の命名の際に希望したのですがあえなく却下された経緯があったので犬を飼うならその名前にしようと思っていました。

なので両方の名前を足して「だいふく」と名付けました。子犬の頃は名前の通り、真っ白でまんまるだったので、まさに天命のような名前でした。

おとなしくて人懐っこくて甘えん坊のフクはお客様にも愛されました。

あるお客様から「営業部長」と愛称をいただき、僕も気に入ってその呼び名をよくLINEのお知らせやブログなどで使ってました。

車に乗るのも大好きだったので、毎年スキーやキャンプに行くのも必ず連れて行きました。

長女と次女はフクをよく取り合っていました。こんな感じでベッタリくっついてくれるからやられた方は可愛くてたまりません。

大好きなミッコちゃん(叔母)と岩手で。往復で20時間以上車に乗っても平然としてました。

食は細かったですが病気は全くしなかったので、手間のかからない本当にいい子でした。旅行の際はトランクルームがフクの小屋。

会長(母)と。自分のサイズが大きくなってることを忘れて膝の上に無理やり乗ってる図。

食事の際の定位置は会長の背中。ここから長女の肩をトントンしてご飯を要求します。

 

季節ごとの写真も絵になりました。

 

箱根駅伝鶴見中継所の朝。

高い空

 

甘えてる時の得意顔。

口のところを掴みたくなる顔。

常に誰かのそばにいたいし、寝る時も誰かしらの布団の上か中。

 

今の僕はこうした写真を見るのもつらいけど、楽しい思い出をいっぱいくれたんだとあらためて思い出します。本当はこのブログも書くのは無理だと思ってました。起こしてしまった現実を受け止めきれない自分がいるから。

でも長女に言われたんです。僕がいつも言ってることを。

「パパのブログは人生の記録(ログ)なんでしょ。なら書かなきゃ。」と。

で、次女にも泣きながら言われたんです。

「パパ、自分を責めないで」と。(こんなこと言うようになったんだなぁ。)

 

なので、現実に向き合うためにも当日のことを振り返ります。

 

7月18日(土)、その日の営業を19時過ぎに終え、連日の雨続きの湿気でなかなか乾かないタオルを乾かしにコインランドリーへ。待ってる間にいつもならダイエット中なので晩御飯はほぼ食べないのですが、その日はお腹が空いていて比較的ガッツリ食べてしまった。

たまたまその日は雨が止んでいたので、食べてしまった分歩こうと思ったのと、連日の雨でフクの散歩も満足にしてあげられてなかったので一緒に連れていくことにした。外が雨ならフクは濡れるのが嫌いなので呼ばれても無視するんだけど、呼んだら喜んで付いてきた。

歩き出し、踏切に差し掛かったところで、リール型のリードのブレーキを掛けたのだがうまく作動せず、フクはスルスルッと閉まった踏切内に入ってしまい、慌ててリードの紐を掴んで引っ張ったもののそこに電車が、、、

 

もう本当に僕のミスなんです。歯車の噛み合わせなのかリール型のリードはたまにブレーキがとっさにかからないことがあるのは知っていたし、それを知っているならもっと早い段階でまず1度目のブレーキをかけることはできたんです。

本当に一瞬。本当に一瞬の油断で、僕はこんなにも家族や親戚やお客様から愛されたかけがえなく愛おしいものを壊してしまい、痛い思いをさせ、もっと楽しい思い出をいっぱい作ってあげられるはずだったフクの人生を終わらせてしまった。

夢であってほしいと何度も思った。こんなつらい思いを子供や妻や母、そしてフクを愛してくれた皆さんにさせてしまうなんて本当に俺はバカだと。いや、バカだとは思っていたけど、本当に真のクズでバカだと。

フクに家族に何度も何度も謝りました。謝ったところでフクは帰ってこないのだけれど、情けないことに僕にできることはそれしかなかった。

 

今こうして書きながらも、なんてことをしてしまったんだと涙が止まらない。

ふとした時にあの事故の瞬間の光景や鳴き声がフラッシュバックのように思い出してしまって、所かまわずボロボロに泣けてきてしまうし、

フクと通った道、フクと行った場所、いつもの散歩の時間、思い出すだけでつらくてさみしくて悲しくて堰を切ったようにいきなり涙が出る。

いつもなら服に白い毛が付いてればすぐにコロコロかけるんだけど、今はこれを取ってしまったらフクの生きた証拠が無くなってしまいそうで取りたくない。

今まで当たり前にいた存在がいないという寂しさ。つらさ。

でもフクに味わわせてしまったつらさに比べれば屁でもないんです、こんなの。

僕はずっと逃げずに受け入れていくし、受け入れながら乗り越えていきたい。今はそう思ってます。

 

そしてこんな僕が言うのもおこがましいんですけど、もし皆さんがこれを教訓としてくれるなら、「かけがえのないものを失うのは本当に一瞬。ほんの一瞬でその後一切の取り返しがつかない出来事が起こりうる」という事です。少しだけでもいいからこのことを心の片隅でいいので留めておいていただければなと思います。

 

そして、感謝を伝えたい方がたくさんいます。

義理の兄夫婦やいとこ達が心配してくれて、声をかけてくれたこと本当に感謝してます。きっとフクが僕に何かを伝えてくれたんだと思います。

営業部長と名付けてくれたお客様がたまたま事故の翌日来店され一緒に泣いてくれたこと、感謝してます。

血だらけの僕とフクを病院まで連れてってくれた通りがかりの若いカップルさん、もしよければ連絡ください。車汚さなかったですか?どうかお礼させてください。

気を失ったフクを気付かせてくれて一緒に声をかけ続けてくれた看護師さん、どうか連絡ください。お礼がしたいです。

搬送先の病院を調べてくれた通りかかりのお二人様。本当にありがとうございました。

 

事故の翌日までには、フクが特に大好きだった3人、ミッコちゃん、柳井さん、宮っちに会い、フクは形を変えて、我が家に戻ってきました。

たくさんの花とお菓子とおやつに囲まれて。

娘のお友達まで花を届けてくれました。

 

フクに関わってくれた皆様本当にありがとうございました。

 

幸せだな、フク。たくさんの思い出をありがとな。最後つらい思いさせてごめんな。

 

フク、ありがとう。ほんとうにありがとう。

 

投稿者プロフィール

古澤 達也
古澤 達也理容師
昭和33年創業「古澤理容館」の三代目、現在は、癒しメニュー特化型理容室「理容フルサワ~LIVINGROOM~ 」室長。1973年生まれ、出身・在住ともに横浜市鶴見区。全理連ヘアーカウンセラー。2010年横浜市優秀技能者賞受賞。

理容師の為のオンラインサロン『Barber-Bar』主宰。

顔そりやヘッドスパなどの「癒し」に特化したサロンコンセプトのもと、ストレス社会に生きる現代人の疲れや肌荒れと向き合っている。特にメンズ向けのシェービングは「顔そりという名のエステ」として圧倒的な心地良さをもたらし、その独自の顔そり術は評判を呼び遠方からの来客も多い。

活動理念は「顧客様の日常に笑顔が増えるお手伝いをする」。顔剃りとヘッドスパでお客様を眠りに誘うことがやりがい。

ブログは15年以上続けており、ライフワークとなっている。